今日は、空手の変化について。

この記事ですが、まず、松濤館流の前屈立ちの重心や横蹴りはどこから?
という疑問を持ったことから、始まりました。そして、空手の歴史を調べるに至りました。

ちなみに、松濤館流の前屈立ちは、膝下の重心が親指の上あたりに置きます。なので、足の張りがあり、重心も低いです。

疑問に思った理由は、同じ首里手である和道流と松濤館流は、ピンアンとヘイアンで行う形が異なり、前屈の立ち方(重心)も足運びも異なるからです。
(ピンアンもヘイアンも、どちらも平安と書き、似てはいますが形は異なります。松濤館流と和道流に限らず、糸東流でも平安の形を基礎として行います。)
両方を経験した私だから、興味を抱いたのかもしれないです。

この平安という方は、糸洲安恒先生によって考案されたとされています。これがピンアンです。一説では、体育のピンアンと武術のピンアンの2つがあるともされています。

さて、松濤館流が行うヘイアンは、どう生まれたか?
そこが中々たどり着きませんでした。

少々最初に戻りますが、ヘイアンにはピンアンにない横蹴りという動きがあります。また、立ち方は、腰高ではなく、足を張り腰を落とすのが松濤館流の特徴です。

いろいろ調べていくと、どうも横蹴りの動きは、船越先生がヘイアンに取り入れたものだったようです。船越先生が師である安里安恒(あさと あんこう)先生の得意技であった横蹴りを組み込みたいという気持ちからヘイアンが生まれたようです。
過去、ヘイアンは、体育としての空手を進めるため、短期間で強くなるために改良されたとも聞いています。おそらく、空手の体育化の過程で変化したものだと推測できます。

そして、この船越先生のヘイアンは、現在の松濤館流の重心で行われていたかは最後までわかりませんでした。もしかすると、和道流と同じ腰高のままヘイアンが行われていた可能性もあります(そうすると、大学の流派がヘイアンである辻褄が合います)。また、いつからこの重心になったかも、定かではありませんが、拓殖大学が中心になって作られた日本空手協会が発足した頃には、今の重心になっていたような感じがします。

私の想像ですが、さらに体育化を進め、かつ試合化も進めるにあたり、今の重心に変更されたような感じがします。さらに短期間で強くなるための改良として。
なんとなく、それは、日本空手協会の初代主席師範の中山正敏先生など拓殖大学の方々が組み込まれたのでは?とも想像しております。
流石に、そこまでは、調べきれませんでした。
おそらく、口伝でしか経緯は伝えられていないと思います。もしくは、古い空手の書籍を全部読めば、答えに辿り着けるかもしれません。機会があったら、是非、調べてみたいと思います。


この記事の筆者:栗山 雄司 (博士)

株式会社アンチエイジング・プロ 常務取締役 COO / SloIron Inc. 取締役 技術アドバイザー / 順天堂大学医学部 総合診療科 研究員

kuri photoM2 広告にも精通し、日々、売れる商品(;顧客の成功)のことを考え、健康食品サプリメントの機能性原料開発やOME製造を行っています。